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ヘイトスピーチ [日記]

今朝のニュースで国連人種差別撤廃委が日本に対して「ヘイトスピーチ」を法律で規制するように勧告したという。

政治的なネタを取り上げるのはいささかどうかと思うが、ちょっと疑問に思う部分があったので、取り上げてみた。

個人的にはいわゆる「ヘイトスピーチ」は非人道的行為であり、日本人としてはみっともなく思うし、この方達は何者や、という気持ちはぬぐいきれない。

また、こう思うのは常識的な考え方だと思っている。

では、逆に中国韓国における反日デモ、運動はこれに当たらないのだろうか?
国旗を焼いて、日本資本の企業を襲う。これもある意味ヘイトスピーチの一種だろう。

どっかの都知事がそういった質問を記者に投げかけられて、それはその国の問題というような発言をしたらしいが、反日デモ、運動について、国連が何か動いたのだろうか?

日本にいるから、そういうニュースが耳に入ってこないだけなのだろうか?

ヘイトスピーチが悪で、反日デモ、運動が悪でない理由があるのだろうか?

おまけに慰安婦問題についても同委は

「政府の認識や被害者への謝罪、補償が適切ではないと懸念を示しました。そのうえで、元慰安婦に対する人権侵害の調査や、関与した責任者の処罰などを求めました。」

とあるが、果たしてそうなのか?

詳しく調べたわけではないが、国家レベルで補償を行ったようなことを聞いたこともあるけど、あの情報は間違っていたのだろうか?

加えて、先日、「慰安婦問題」を取り上げた朝日新聞が、あれは誤認だった旨を発表してたように記憶するが、それでもなお、第三者からこのようなことを言われないといけないのだろうか?

どうも納得がいかないのである。


建仁寺

建仁寺
SONY α7 & CONTAX G Planar45mm f2

一方的な「日本叩き」は非常に不快に感じる。

爽やか。SONY α7 & CONTAX G Planar45mm f2 [日記]

毎朝、テレビをつけるとキムタクハウス・ジャワカレーのCMが流れる。

「爽やかだな~」

なんてセリフが聞こえてくるが、僕はどうもこの一連のCMが好きでない。
セリフ回しやキムタクをはじめとする出演者の動きがどうも不自然なのだ。

言葉は悪いけど、少し不愉快な気分になってしまう。

ま、そんなことはどうでもいいんだけど・・・。

先日の大雨以来、気温が低い日が続いている。

こと、ここ二日間くらいは、まさしく夏の終わりを感じさせるものだ。

直近の数年間では味わうことのなかった夏から秋にかけての移ろいを感じることができて、かつての日本の四季を思い浮かばせる。

そういえば、心なしか空も高くなったように感じる。


建仁寺

建仁寺
SONY α7 & CONTAX G Planar45mm f2

食欲の秋にむけて、身体を絞るか・・・(笑)

とりあえず、秋刀魚が食いたい。

写真集。 [日記]

「CAMERA magazine」という雑誌で彼のことを知り、たまたま彼のBlogを写真仲間の一人が見ていたこともあり、Blogを通じてお知り合いにならせていただいた。

そして今も実際には一度もお会いしたことはないのだが、Twitter、Facebookで繋がらせていただいている。

その彼がWebbookではあるけれど、女性のポートレートの写真をまとめて公開されたのを拝見させていただいた。

いやはや、綺麗にまとまっていて、モデルの女性の人柄さへも伝わってくるような素敵な写真集である。

最初、ブログを見た時は電子版とは思わず、「お!こりゃ買わなきゃ!!」と即座に思い、どこかに案内が記載されているだろうと、いろいろと探し回ったという・・・(笑)

ま、媒体はなんであれ、いいものを見せてもらいました。



実は個人的に一度、文庫本サイズで京都の写真を集めたものを作ったことがある。
コンセプトは京都の四季だったけれど、大方の予想通り冬の写真が少なすぎて、バランスが非常に悪くなった(汗)

再度、チャレンジしようかと思っているけれど、それ以後も冬の写真は撮れてない(だって、寒いもの)ので、企画倒れとなっている(笑)

最近では夏の写真も少ないかな(^^;

だって、暑いんだもの・・・。

花見小路

花見小路
SONY α7 & CONTAX G Planar45mm f2

遠藤周作。 [日記]

昨晩、ふと思い立ってamazon kindleで「遠藤周作」を検索してみた。
自分がkindleを購入した当初は遠藤の著作は極めて稀なものしか出ていなくて、触手が動かなかったのである。

ところが、今回、検索したところ、新潮文庫を中心にほぼ代表的な作品が電子化されていることがわかった。

思わず、衝動的に大人買いをしてしまった。

僕は京都の浄土宗系の大学の国文科を出ている。
ただし、わが家は浄土宗ではもちろんなく、知る人は知っているがカトリックである。
(ただし、自分の意思で洗礼を受けたわけではない)

聖書もいまだ全文通して読んだこともなく、キリスト教の良し悪しには興味がないし、深く考えたこともない、おそらく教えに反することも数多くしてきている、いわゆる不良クリスチャンだと思っている。

ただ、自分の根底にある精神的な礎はキリスト教のそれだろうと思っているところもある。

そういうこともあって、卒論に選んだのは「遠藤周作」

まぁ、当時は人生経験もなく、おそらくうわべだけの遠藤周作論を展開したのだろうと今から思うと気恥ずかしく思う。

ただ、根底にあったのは、自ら選んで日本固有の宗教以外に入信したわけでないなにかしらの負い目、恥ずかしさ、そして、この国のキリスト教はおそらく日本風にアレンジされている部分がある、ということだった。

もちろん、高校、大学レベルの頭で、そのような自分の中にある何かを自分の力で引き出すことはできなかったが、その手助けをしてくれたのが、遠藤周作の数多くの小説でないかと思っている。

昔を懐かしむわけではない。
ただ、自分の原点を再認識するためにも、今、一度、読み直したいと思った次第である。


DSCF6730

島熊山
Fujifilm X-E1 & XF35mm f1.4R

あれやこれやと悩ましい。 [日記]

自宅と会社の往復だけの毎日なので、特に変化もなく平々凡々としているはずなのに、あれやこれやといろいろと、そして、次々と問題が起こって、どうも心が穏やかではない。

そして、その問題にとりつかれるように心を移してしまっている自分がおり、四六時中、心がざわめいているような気になるのである。

人間は人との関わりなくして生きていけないと思うが、その関わりが何かと問題を引き起こしているのも事実であり、なかなかうまくいかないものである。

仕事のこと、会社のこと、会社の人間関係、或いは家族のこと、友人・知人のこと、自分のこれからの人生のこと、考えても仕方のないことも多々あるはずなのに。

若い頃はそんなこと考えたこともなかったんだけどね。

花見小路

花見小路
SONY α7 CONTAX G planar 45mm f2

くよくよくよくよ考えずに笑って過ごせる・・・そんな風になりたいな。

もはやゲリラではない。 [日記]

昨日、午後からの大阪北部を襲った豪雨。
特にひどかったのが夕方頃。

石橋駅前商店街は水に浸かり、豊中市を流れる千里川は危険水域に達し、池田市
伏尾、五月丘、畑、箕面市如意谷地区に避難指示がでた。

その後、大きな被害のニュースは耳にしていないので、大丈夫だったのだろう。

しかし、今年の雨はもはやゲリラの域を超えている。
というか、降るべくして降っているそんな感じで、晴れているのに、突然、豪雨が降りだすというものではない。

やはり、地球環境は変化しつつあるのだろう。


花見小路

花見小路
SONY α7 CONTAX G planar 45mm f2

SONY α7 & CONTAX G Planar 45mm f2 [京都めぐり]

X-E1用にもKipon製のアダプターを購入していたけれど、装着感がいまいちなのと、45mmと約70mm近い焦点距離になってしまうので、中望遠というか、その辺りのレンズを使ったことのない自分は、使用に躊躇してしまっていた。

とは言え、ズームレンズを使用した場合は、おそらくこの辺りが一番使う頻度が高いような気もする。
まして、RD-1xgでsummarit 5cmを多様していたことを思うと、いまさら何を、と言う感も拭えないのだが・・・。

フルサイズのデジタルカメラをを手にして、一番、最初に撮りたかったのが広角21mmのGRレンズとこのPlanarである。

GRレンズの方はカラーで盛大なマゼンダ被りがでて、周辺は流れるし、という欠点が多々見えて、少しがっかり気味だったが、標準クラスのレンズではそのようなマイナス要素も出ないという情報だったので、非常に出来上がりが楽しみだった。

こちらのKipon製のアダプターは問題なく装着できたことだし。

早速、お盆休みに京都へと足を運んできた。


花見小路

花見小路
SONY α7 CONTAX G planar 45mm f2

京セラCONTAXに対する僕の印象は、色はこってり、そして、黒色がしっかりと再現できるというところにある。

ソニーのセンサーのおかげかもしれないけど、この写真を見て、あ~、やっぱり京セラCONTAXシリーズのレンズはいいな、と改めて思った次第。

ただ、これは開放で撮ったと思うけど、もうちょっと絞った方が、ボケがいい感じになるかもしれない。

このボケ方をずっと見ていると、乗り物に弱い自分は酔いそうである(笑)

ものを習うということ。 [日記]

この歳になると、人から何かを教わるということに素直になれないものがある。

素直に聞くには、自分なりの経験が邪魔をするのである。

合気道を始めて、この夏で丸16年、いよいよ17年目に突入となった。

圧倒的に上の高段者の話は素直に聞けるが、上位であっても自分より少し上の方については少し疑問を抱いたりもする。

でも、それはそれでいいんじゃないかと僕は思う。

合気道を知らない人は、合気道は「気」を重視し、それに基づいて人を投げたり抑えたりする、と思っている人も少なくないだろう。

僕も最初はそう思っていた。

が、稽古を続けるにつれて、「気」というよりも、身体の仕組(骨・筋肉等)を上手に使って、相手を制する武道だと思うようになってきた。

逆に言うと、そういう教えられ方をすると、自然と理解できるし、納得できる。



「習うより、慣れろ。慣れたら学べ」という言葉を以前聞いたことがある。



合気道に関していえば「まず、真似ろ」だろう。

師範の動きを見て、それを真似る。
当然、思うように動けないところが出てくる。
足の使い方、手の動かし方、腰の位置、その他もろもろに工夫をしてみる。
もちろん、そこに師範や先輩たちのアドバイスが加わる。

ある程度、できるようになると、自分の基本的な考え方ができあがる。

それにある程度固執しながらも、いいところは進んで取り入れる。

それが上達の近道ではないだろうか?

とは言うものの、それを素直に受け入れるのは、おっさん的には難しい。

もっと、素直な性格になりたいものだ。



建仁寺

建仁寺
SONY α7 CONTAX G planar 45mm f2

写経してみたいな。

秋の装い? [日記]

お盆休みも終わり、いつもの日常に戻る。
仕事で肉体的よりも精神的に疲労し、帰宅する道すがら、心なしか涼しい風を感じて心が安らいだ次第である。

日中はまだまだ日差しが強く暑い上に、ここ数日は湿度も高く、不快指数はあがったままだ。

だけど、ほんの少しずつでも季節は移ろいでいるような気がする。


華やかな夏の盛りから、色を失う冬との間で、一瞬の彩りを纏う、秋は四季の中で一番好きな季節である。



DSCF6701

大阪市内遠望
Fujifilm X-E1 & XF35mm f1.4R f11 1/420s ISO200

内田樹 「おじさん的」思考(角川文庫) [日記]

内田樹氏

合気道七段、居合道、杖道ともに三段という武道家でもある。
名前は聞いたことがあるように思うが、どういう方かというと、僕はまったく知らなかった。

wikipediaによれば、「日本の哲学研究者、思想家、倫理学者、武道家、翻訳家・・・」とあった。

ここに書かれている彼の立ち居地と自分とは相容れない部分も少々散見する。
先にこれをを読んだ後では、彼の著書を読もうとは思わなかったかもしれない。

しかし、幸か不幸か僕は知らなかった。

彼のこの著書を紹介しているブログをたまたま読んだことをきっかけに、面白そうだ読んでみようと思ったのである。

『「おじさん的」思考』は、どうも何かで連載されていたか、今までの彼のエッセイをとりまとめた形式のものである。

読んで思ったのは、考え方の基礎にある部分が非常に庶民的であるということだ。(表現方法は確かに哲学家などのそれであるが)

だからか、難しい言葉も出てくるが、共感できる部分が多いように感じたのである。

まだ、読んでいる途中ということもあって、これからこの感想が変わる可能性もなきにしもあらずだが、気になった部分を少し抜粋し、挙げてみたい。

もちろん、これは自分と共鳴した部分である。

【自衛のためであれ、暴力はできるだけ発動したくない、発動した場合でもできるだけ限定的なものにとどめたい。国民のほとんど全員はそう考えている。これを「矛盾している」とか「正統性が認められていない」と文句をいう人は法律の趣旨だけでなく、おそらく「武」というものの本質を知らない人である】


【武力は、「それは汚れたものであるから、決して使ってはいけない」という封印とともにある。それが武の本来的なあり方である。「封印されてある」ことのうちに「武」の本質は存するのである。「大義名分つきで堂々と使える武力」などというものは老子の定義に照らせば「武力」ではない。ただの「暴力」である。】


【憲法九条のリアリティは自衛隊に支えられており、自衛隊の正統性は憲法九条の「封印」によって担保されている。憲法九条と自衛隊がリアルに拮抗している限り、日本は世界でも例外的に安全な国でいられると私は信じている。】


集団的自衛権の問題が話題になっているが、デモやらなんやらに参加していない大多数の国民は、このように考えているのではないかと勝手に想像する。

彼らは両極端なことを例にあげて、その是非を説いているが、多くの国民は、日常的な生活の中での自衛隊をこう考えているのではないだろうか?

憲法9条があるから、軍隊を持たないのではなくて、自衛のための軍隊の暴走に歯止めをかける意味で、9条が存在する。

前にも書いたと思うけど、国の横暴から国民を守るために憲法は存在する。
したがって、その解釈を政府が政府の一存で決めることは、理に反していることにはならないのだろうか?

個人的には集団的自衛権に反対しているわけではないが、この決定方法に大きな違和感を抱かざるをえないのである。


そして、「武とは戈(ほこ・暴力)を止めることである」



鴨川

鴨川川床
SONY α7 CONTAX G planar 45mm f2