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「暁のキックスタート」 斎藤 純 著 (広済堂文庫) [書評]

ひょっとすると前に文庫で買っていたかもしれないが、今回はAmazon kindleで購入した。
僕がバイクに乗り始めた頃はキック始動が主流だったことは間違いない。
セル付はその分重たいから・・・と敬遠されてたように記憶する。
実際、バイクの軽量化って自転車じゃあるまいし、まして、うちらのような一般バイク乗りには関係ないことなんだけどね。

キックスタートはバイクに乗る前の儀式のようなものだった。
チョークをひいて、軽く右足でキックペダルを上下すると、若干、ひっかかるような感触がある場所がある。
そこで足を踏みなおし、一気に踏み下げる。

たまに何度やってもかからない場合はチョークを戻して空キックしてから再度チャレンジ。

そんな感じだったように思う。

キックスタートは傍で見てても絵になって、格好良かったけれど、坂道発進でエンストした時は泣きそうになったな。

さて、この本はバイクに関するエッセイというものだろうか?

なかなか共感する部分もあって、ある種、バイクに憧れ、乗りたいと思っていた時期の気持ちに返れるそんな読み心地だった。

以下、共感した点、抜粋(笑)


“自分の力で自由を得ようとしている人々ほど、権力者にとって具合の悪いものはない。権力者ってのは、押しつけの自由しか認めないのさ。そんなもの、自由でも何でもないだろう。オートバイ乗りは、本来、何かを押しつけられるのが大嫌いなんだ。”

“現代社会において、自由は、孤独と引き換えにしか手に入れることができない。”

“オートバイはドアのひとつであり、自分と向き合い、自分を知るための道具なのである。”

“オートバイ乗りを傍から見れば、たかがオートバイの排気量ごときのことで優越感に浸ったり、劣等感を抱いたりと、それは子供っぽさを通りこして幼稚でさえある。だが、それを失ったら、オートバイになど乗っていないだろう。”


芝川ビル

芝川ビル SONY RX100M4
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「しんがり 山一證券最後の12人」 清武英利著 [書評]

清武・・・う~ん、どこかで聞いたことのある名前だな?っと思っていたら、いっとき、ジャイアンツのフロントを賑わした、あの方。

ふ~ん、ジャーナリストだったんか?

ま、自分はどちらかと言えば「アンチ」・・・。それ以前に最近はプロ野球にも興味が失せているので、具体的に何があったのかは知らない。

この本の舞台となった、山一證券は1997年(平成9年)に自主廃業となった。

テレビニュースで当時社長だった方の号泣記者会見のイメージは残っているんだけど、社長の顔や何を話していたかはいっさい覚えてない。(雪印の社長は覚えている 笑)

今でこそ、不祥事を起こした弁明記者会見で、社長が泣き出すシーンはよくみるが、あの当時は珍しかった。

しかし、こういうケース、気持ちはわからないでもないが、大の大人が人前で泣く姿をかっこ悪いな、とも思ってた記憶はある。

(※この本を読んで知ったことだが、この社長は何も知らない状態で自主廃業の4ヶ月前に就任したらしい。そりゃ泣きたくなるわな)

さて、この本は、そんな山一證券の自主廃業後、会社の清算とともに、真相を究明すべく無償で働いた方々にスポットを当てたノンフィクションである。

うちも前の会社が右肩下がりになって、いよいよ覚悟せんとあかんのかな、と思っていた時期に、仕事柄、きっと最後の後始末に残らないとあかんやろな、と思っていたこともあって、興味を覚えた。

読んだ感想は、どこの会社でも会社組織では正しいことを言うのは難しいんだろうなということだ。

間違っているとわかっていても、上司の命令には逆らえない。いや、逆らってもかまわないが、その後、どんな仕打ちが待っているか想像に難くない。

自分も会社ではよく上にくってかかるタイプである。

そのたびに「それは正論だけど、そうはいかないんだよ」って上の人から言われる。

いやいや正論なら正論に沿ってやりましょうよ、と心の中では思うが、なんせ、たかだかヒラ社員。

最初から負けるとわかっている喧嘩をするほど、世間知らずではない。

権力のある人間に裏で手を回されたら、ただのヒラではどうしようもないことは身に沁みて感じている。それが実感。

そのせいか現在は干されているといっても過言ではない状況で、毎朝の通勤が苦痛にもなってきている。

そんな状況下、この本を読むことで、なんか元気が出ないかな、っと思い購入した経緯である。

最後に自分の琴線に触れた一節を一部紹介しよう。


“しかし、会社の評価など、人生のある時期に、ある組織の、ある人たちによって下されたものに過ぎない。”


“コンプライアンスは難しくない。常識的であることだ。”


“運だけで成功する人などいない。神様はきっといる。頑張っていればいつか助けてくれる。世間も見る人は見ていて、自分の心を高く保っている人には救いの手を差し伸べてくれる。”


“この世は理不尽なことがたくさんあります。でも流されちゃいけない。言いたいことが言える人間じゃないとね。”

三休橋筋


ちなみに僕の自論は、正しくないことをした者はいつかしっぺ返しを食う、である。
それはすなわち、正しいことをしている人を評価しないと会社は潰れるということの裏返しでもある。

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「もし僕らの言葉がウィスキーであったなら」 村上春樹著 [書評]

Haruki Murakami


僕のことを良く知っている方なら、「あ、またか・・・」と思われているだろう。

ひとつのことに興味を持つと、いろいろな方角からいろいろなことを追い求めてしまう性格。そして熱しやすく冷めやすい(笑)

「おまえ、こないだまで日本酒言うてたんとちゃうんかい」

と怒られそうだが、自分の中でのマイブーム(すでに死語に近いが)がウィスキー&Barなんだから仕方がない。

日本酒に関しては銘柄云々より、やはり味。それも和食にどれだけ合うか、いや、それよりも仲のいい知人たちと酒を注ぎながら歓談することが楽しいのであって、味はひょっとすると二の次になっているかもしれない。

会社の宴会などで注ぎまくるのはまったくもってナンセンスで、やはり、相手の飲んでいる具合を確かめながら、無理強いをせずタイミングよく勧めるのがいい。

おっと少し話がそれてしまったが・・・。

ウィスキーも奥の深い世界のようで、その種類、銘柄も千差万別。最近でこそ日本酒も世界で認知されつつあるが、ウィスキーに関しては比較にならないほど昔から世界中で愛されている。

そしてなんでも五大ウィスキーというものがあるらしい。

スコッチ、アイリッシュ、アメリカン、カナディアン、ジャパニーズ。

それぞれに特徴があって、それぞれにファンがいるようだ。

新潮文庫から出版されている村上春樹著「もし僕らの言葉がウィスキーであったなら」は、氏が五大ウィスキーのひとつ、スコッチの中でも個性あふれる、いわゆる「アイラモルト」の生産地を訪れた際の紀行文である。

先日、いただいた「ラフロイグ」もこのアイラモルトのひとつだそうだ。

噂どおりに香りは「ヨーチン(笑)」

しかし、じっくり飲むとほのかな燻製のような味覚があり、味わい深いものだった。(今の僕レベルではこの程度の感想しかできない)

この本は、もともとは夫婦二人でアイルランドにプライベートな旅行をするつもりだったが、ちょうど、そこにウィスキーについての文章を書く仕事が入り、それならばとウィスキーをテーマにした旅行をしようということになったらしい。

まだ、読んでいる途中なので、感想は述べることはできないが、陽子夫人の写真(これがまたいい写真)とも相まって、とても気持ちのいい紀行文となっているのは間違いない。

Haruki Murakami


秋の夜長、ウィスキーを飲みながら、紐解くのもいいかもしれない。


余談

実は僕は村上春樹氏の本を読んだことはない。
毎回、毎回、ノーベル文学賞の候補と騒がれている作家なのにだ。
どうも食わず嫌い的なものがあり、またまた性格が天邪鬼なせいもあって、みんなが「いい」「いい」と声高に言い出すと、読みたくなくなるのである。

しかし、まだ、途中ではあるが、この本を読んで少し認識を変えなければならないと感じている。

とても自然な感じの文章、もちろん、それが紀行文であるからかもしれないが、すんなりと違和感なく自分の中に入ってきたような気がする。



あ!ちなみに日本酒は「呉春」の本丸が好きです。
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誉田哲也著 「武士道ジェネレーション」 [書評]

誉田哲也さんの武士道シリーズがついに終わりを迎えた。

「武士道シックスティーン」に始まり、「セブンティーン」「エイティーン」と繋がり、本作「ジェネレーション」で締めとなるようだ。

正直言って最初はあまり意識していなかったが、なにかの雑誌かでこの本のことを取り上げられていて、面白そうだから読んでみようか、と思ったのがきっかけだったような気がする。
しかし、それもはっきりと言えるわけではない。

当初は文庫本を買った。(後に電子書籍へと移行)

「シックスティーン」の時は、レジに本を持っていくのが恥ずかしく感じた。
(うちらの世代のひとは「セブンティーン」という雑誌をご存知だろうと思う。うちの深層心理であのイメージが浮かんでしまったのである)

しかし、次作からはすでに内容がどんなものか理解できていたこともあり堂々と買えた(笑)

そして、とにかく面白かった。

単なる女高生のきゃっきゃっとした話ではなく、なかなか、武士道、いや武道についてポイントを突いているところが多々あると思う。

さて、本作、「武士道ジェネレーション」であるが、amazonのレビューでは「歴史観論争を持ち込むな」とか書かれているものもあり、それだけでこの小説の評価を下げているレビューアーの方もいらっしゃる。

歴史観論争とは南京大虐殺、従軍慰安婦問題などであるが、誉田氏の立ち居地はおそらく自分のそれに近い。事実はともかく、率直にいうと、南京大虐殺の人数、従軍慰安婦に関して、デマがまかり通っているという点である。

だから、僕はどちらかというと違和感なく、自然に読めた。そこまで目くじらたてなくても、と思う。

いずれにせよ、この歴史観論争云々というのは、本当の武士道(武道の心構え)を言わせるための伏線部分であるので、それほど神経質になることはない。

要するに作者が言いたかったこととは、

“人が何かを守ろうとするとき、必ず必要となるのは、力だ。圧倒的な力。それでいて暴走しない、抑制的な、禁欲的な、どこまでも制御され、研ぎ澄まされた、力だ。”

“そもそも剣は暴力だ。他人を傷つけ、死に至らしめる。そういう力だ。しかし、その暴力を封じようとしたら、それを上回る力が必要なんだ。その暴力を凌駕する力を以て、相手を傷つけることなく、暴力のみを封ずる。それこそが武道だと私は信じている。”

という点ではなかろうか?


旧居留地

神戸 旧居留地 SONY RX100m4

以前、内田樹氏の著書「おじさん的思考」から抜粋した文章を紹介したことがある。

“自衛のためであれ、暴力はできるだけ発動したくない、発動した場合でもできるだけ限定的なものにとどめたい。国民のほとんど全員はそう考えている。これを「矛盾している」とか「正統性が認められていない」と文句をいう人は法律の趣旨だけでなく、おそらく「武」というものの本質を知らない人である”


“武力は、「それは汚れたものであるから、決して使ってはいけない」という封印とともにある。それが武の本来的なあり方である。「封印されてある」ことのうちに「武」の本質は存するのである。「大義名分つきで堂々と使える武力」などというものは老子の定義に照らせば「武力」ではない。ただの「暴力」である。”


“憲法九条のリアリティは自衛隊に支えられており、自衛隊の正統性は憲法九条の「封印」によって担保されている。憲法九条と自衛隊がリアルに拮抗している限り、日本は世界でも例外的に安全な国でいられると私は信じている。”

異論はあるだろうが、一見、青春もののように見える、この「武士道シリーズ」であるが、なかなかどうして、「武」の本質をわかりやすく書いている小説だ。

なんだ、結局は暴力なんじゃない、と思われる方は、磯山香織と吉野先生の稽古のシーンをぜひ読んでもらいたいと思います。
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遥洋子著「私はこうしてストーカーに殺されずにすんだ」筑摩書房刊 [書評]

遥洋子さん(関東の方には馴染みがないかもしれない)は、実は高校のいっこ上の先輩だそうだ。
一学年12クラス、約600名。
そんな時代だったから、よほどの有名人(たとえばクラブ活動とか)でなければ、顔も名前も知らない。もちろん、同学年ですら、そういう方達がいる。

だけど、同じ高校というだけで親近感が湧くのも事実である。

そんなこんなで衝撃的なタイトルであるが、彼女の著書を読ませていただいた。
詳細は読んでいただければいいと思う。この本はストーカー被害にあって、生き延びた人間からのメッセージだ。著者もその部分を伝えたい気持ちがいっぱいのようだ。死んでしまってはなんにもならない、とにかく生きる手段を考える。

また、最近ではいわゆるジェンダーフリーを唱えられていることから、相談窓口の警察、弁護士や、周囲の男性に対しての意見も考えさせられることが多かった。


たとえばこんな一文がある。


『助言が間違っているのだ。「女性が明確に拒否しない」と思うから、「明確に拒否」を助言してしまうミスをおかす。「相手の気持ちに鈍い」男性に対し、「勘違いするな」と助言すべきだ。助言する相手も、その内容も、間違っている』


つまり、男性側からすると、ストーカー行為をされても女性は明確に拒否を行わない、という先入観を持っている。だから、このようなアドバイスが出てくる。
明確に拒否をして何も起こらないならいいが、ストーカーによる殺人事件においては明確な拒否が引き金になっている場合もある。
問題は女性にあるのではなく、男性にあるのだ。
それをさも女性の対応に問題があるかのようにするアドバイスはある種のジェンダー(性差別)ともいえるのではないだろうか?

また、彼女が見てきたストーカー達(男性)は、弱い女性に対しては強い態度に出るわりに、自分より強い者には卑屈な態度にでることを厭わない。
あるストーカーは、彼女の兄がいる時には一切姿を見せず、年老いた両親がいる時のみ、ずかずかと部屋にあがってきたという。
つまり、対抗できる力には行動にでないということだ。

そして、ストーカーの中でも、社会的な立場もなく、家族もなく、無職で住む場所も固定されていない、いわゆる無くすものが何もない相手が一番の恐怖であり、警察も後手にまわる可能性が高くなるという。そういう人間がストーカーと化した時、いわゆる一般常識や正論で身を守ることは不可能に近い。

そういう場合の解決策、『(刑事による)恫喝は冤罪を生みかねない紙一重のものだ。だが、恫喝がストーカー被害を早めに救うのも事実なのである』というのは、彼女の実感だろうし、自分もそう思う。最終的にはそういう手段もやむなしなのだろう。

ふと、この部分を読んでいて、安保法制のことが頭に浮かんだ。

安保法制に反対されている皆さんは、こういうストーカー被害に遭った際、どう対応されるのだろう。やはり話せばわかると考えてられるのだろうか?武器も軍隊ももたず、外敵からの侵略からこの国を守ることができる、とそう考えられているのだろうか?

などと考えた時、やはり抑止力となる何かは必要なんだろうな、と思うことはいけないことなのだろうか?

後はその使い方が問題なのではあるが。

宝塚

宝塚 Ricoh GR

話が少しわき道に逸れた感がある。話を元に戻そう。
彼女の経験から、ストーカー被害に遭わないためには、そういう人に近づかない、接しないということが何より大切だという。そんなこと無理と思われるかもしれないが、避けられたはずの小さな綻びはいたるところにあるものだ。

この本の後半でそういう人間の見分け方が書かれている。全部で20個。全て列挙するのは問題があるので詳しくは本を読んでもらうとして・・・。僕が街中でみかけた、あ!こいつはやばいという感覚、その感覚と合うものをいくつか抜粋させてもらう。

・無礼・デリカシーがない(じっと見る、相手との距離感がない)
・強さを弱い立場にひけらかす(ウェイトレスやタクシー運転手に対し)
・些細なことで大声を出す(「酒が冷えていない」とか)
・オーバーアクション(声が大きい。過剰な自意識)

いかがでしょ?


そして、この一連の解説は自分の過去を思い出しただけでも納得できる。っていうか、思い出して笑える。

「去る、という行為が、相手に全人格否定くらいの衝撃を与えてしまう。」

「去る側は単に去っただけだ。」

「だが恋愛などひょんなことで終わる。」

「理由を聞いたところで納得できないから執着する。」

「「たったそれだけの理由」でも、人は去る時は、去る。」

「滑稽で真剣な後悔で食事も喉を通らなくなる。この段階で実はもう心身症の領域だろうが、その狭い思考回路の中だとわからない。」

「そもそも「その人で頭が一杯になる」段階で、恋愛っていうものは、最初から心身症じゃないのか。」

まさに「失恋あるある」だな(笑)
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重松清著「きみの友だち」 [書評]

2005年に新潮社より刊行された、短編を組み合わせた連作の形式をとった小説である。

本当の友だちって、どういう人のことを言うの?

そんな問いを投げかけてくれている。

一回読み終えてすぐもういちど読み返したのは、昨年読んだ浅田次郎の「輪違屋糸里」以来。

それだけ、読み終えて、心に残る何かをもっていた小説といえるだろう。



僕がそれほど同窓会とかに行きたいという気持ちを抱かないのは、やっぱり思い出がないから。

もちろん、当時は楽しかったし、友だちもいた。

でも、今、この歳になって思い出そうとしても、ほとんど思い出せない。

思い出したくない思い出はすぐに思い出せるのに。

それに自分がそうだということは友だちからみた自分もそうだということに他ならないと思う。

そういう集まりに行って、手持ち無沙汰ですごすくらいなら、家でぼけ~っとしてる方がましとさへ思ってしまう。

僕の学生時代なんて、そんなもん。



曽根崎


Fujifilm X10


小説の中では「佐藤」君の話に、一番、共感した。

恵美ちゃんは佐藤くんに言う。

「じゃあ、いい天気の青空に雲があったら、邪魔?」

「でもさ、青だけの空って、のっぺらぼうじゃん。空の顔つきって、雲で決まるんだよ」

「邪魔じゃないよ、雲は」それもわかる。ただ、お姉さんがその話でなにを伝えたいかが、よくわからない。

でも、お姉さんはきみを指差して、「雲」と笑った。

「がんばれ、雲」

重松清 「きみの友だち」『別れの曲』より

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「私を通りすぎた政治家たち」佐々淳行著 [書評]

佐々淳行氏のことはいまさらいうまでもないでしょう。

氏が現役時代に関わりを持たれた政治家、駐日大使等の方々について、彼の体験、見解、生き方に基づいて
評価した内容が書かれている。

正直、半分はやじうま根性から購入した。

彼のおかれた立場からの是非であるので、このことがここに書かれた全ての方々についての評価とは思わないが、概ね、世間で思われている通りという感がしないでもない。

結構、自分の思ってたことと違う(自分の場合は直接触れ合ったことがないので、まさしくそれは思い込みなのだが)評価の政治家の方には「なるほど」と思える点も多々あったし、さほど評価していなかった政治家が同様の評価だと、悦にいったりもした。

しかし、中には自分がこう思っていた歴史認識を真っ向から覆されるものもあって、いやいや、自分の無知さにあきれる点もあった。

その一番の誤認識は「安保闘争」について。

僕が思っていたのは、日本は独立国なので、アメリカの庇護下には入らない、だから安保条約なんて必要ないと思った人々が反対運動を起こしたものだと思っていたが、実際は、アメリカの庇護対象となっていた、安保条約を改正して、自らの力で専守防衛できるようにすることで、再び戦争の時代に戻るのか?と人々が反対したということらしい。

そうだよね~、よくよく考えると、左系の人々が僕が思っていたようなことのために、デモするなんて思えないもの(笑)

また、氏が書いているように、日本国内で大きな災害、事件が起きた時は不思議と頼りにならない総理大臣だったようで第二章の「国益を損なう政治家たち」に挙げられた政治家は、やはりそうなんだという感じ。

菅直人、村山富市、田中角栄、三木武夫、石井一、加藤紘一、河野洋平、小沢一郎、宇野宗佑。

なかでも加藤紘一、小沢一郎は笑った。

と同時に、傲岸不遜、理に適わないことをしている人は、遅かれ早かれ淘汰されるということが、どの世界においても同じだなと思った次第。

加藤紘一なんて、ほとんど道化もの。

あの「なんとかの乱」なんて、市井の人々の間ではほんとお笑い草だったからね。

今後、期待される政治家の人々には、少し「?」っていう人もいたけれど、全体を通して筋の通った内容で、いろいろとためになりました。

ということで「☆5つ」(笑)

旧居留地

神戸 SONY α7 & C-Summicron 40mm f2

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「永遠の0」 [書評]

土曜日、荒天で外出する気もおきなかったこともあり、FaceBookでphotosukeさんが百田尚樹さんの「永遠の0」を読んでよかったとの感想をあげられていたので、読んでみることにした。

あらすじや内容については他のブログに譲るとして。

結論から言うと、読み終えた感想はなかなかよかった。

だけど、読み始めた当初は、これまた他のブログでも書かれているけど、浅田次郎さんの「壬生義士伝」と似ている部分が多くあるというとこが、やたら気になったのも事実である。

主人公宮部久蔵の人柄設定が吉村貫一郎のそれと似ている点。
話の進め方が、当時、かかわった人間へのインタビュー形式という点。
そして、その中に主人公を毛嫌いする人間がいるという点
だが、その毛嫌いしていた人間が実は彼を認めているという点。
これはこじつけになってしまうかもしれないけど、残された遺族の面倒を見る人が実は関係者だったというところ。
そうそう、自分の教え子というか、仲間というか、に絶対死ぬなという点も。

主だった気になるところはおよそこういう点。

まぁ、普通に読む分には気にならない話ではあるが・・・。
自分の場合、「壬生義士伝」はもう両手の指の数くらい繰り返し読んでいることもあって、あらすじのほとんどを覚えているせいもあるからかもしれない。

しかし、読み続けていくと、この話のどこからどこまでが史実と合っているかは別として、なるほど、なるほどと思える点が多々あった。

現場を知らない幹部連中のおかげで、多くの人間が死なねばならなかった。
このことは現代の企業戦士にも通じるものがあるんじゃないかな?

その中にも反骨精神を持った人がいて、彼らはみんなから尊敬される存在。
ただただ反骨というだけでなく、人として正しい考え方を持っているか否かというところが大切だということ。

実力があるからと言って、それをひけらかすことなく、年下や部下にたいしても丁寧な物腰で対応する。

長所があれば、それを認めるということ。

読んでいくうちに、そういう学ぶべき、あるいはあらためて考えるべきところがたくさんあった。

そういう意味で、読んだ甲斐があったような気がする。

特攻隊のことを題材にした小説、この本を読み終えて、梅崎春生の「桜島」をいまいちど読みたくなってしまった。

日本綿業倶楽部

日本綿業倶楽部 SIGMA DP2 merrill SPP5.4にて現像

ということでネットで古本を購入してしまったのである(笑)

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『悼む人』 天童荒太(文春文庫) [書評]

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先日、会社の先輩(同僚?)と軽く飲みに行った際に、珍しく読書の話となった。彼は、会社が移転したことに伴い、小一時間の電車通勤の間に本を読んでいるという。

以前、話した時に、彼の好きな作家が宮本輝であるということは知っていた。
そんな彼が、電車の中で思わず落涙しそうになったという、天童荒太の「悼む人」という作品を勧めてくれた。

彼の作品は正直読んだことがない。代表作「永遠の仔」しかり、そして単行本を購入したのに少し読んだだけでやめてしまったのが「あふれる愛」

今、読めばひょっとすると心に入ってくるものがあるのかもしれない。
でも、当時はどろどろとしたものを感じて、読む気にならなかった。

そんな僕の天童荒太感であるが、せっかく勧められことだし、ためしに読んでみようかと思った。
日曜日が雨の予報ということもあり、どこかへ出かける気にもならず、午後を読書に費やそうと思ったせいもある。


この世の中、いろんな場所で、いろんな人が、いろんな事情で亡くなっている。「悼む人」は、その人たちが亡くなった場所を探し求め、周囲の人たちに亡くなった人が「誰を愛し、誰に愛され、誰に感謝されたか?」ということを聞き、それをもとに彼ら、彼女らのことを心に刻み、亡くなった人を「悼む」という青年の行為を中心に話が進んでいく。

話のあらすじなどは本を読んでいただくとして。


読み終えた後、率直に思ったことは・・・。

自分がもし、この世の中からいなくなった時に、誰が自分のことを思い続けてくれるだろうということだった。

家庭のある人でも、せいぜい子から孫に語り継がれることがあっても、その後の世代には忘れられてしまうと思う。自分がそのような性格であるからそう思うのかもしれないが・・・、おそらく実生活で触れ合ったことのある世代までしか思い続けてくれないのではないだろうか?

では、家庭のない人間はどうだろう?その者と触れ合ったことがある人々も、普段はその者と縁のないところで生活している。人間にとって、一番大切に思うのは今触れ合っている人だと思う。

とどのつまり、自分の生活にいつも関わりのない人間のことは、せいぜい、一年くらいしか覚えていてもらえないのではないだろうか?


「悼む人」も最初のうちは、亡くなった人のいろいろな事を思い続けようとした。ところが、人間の記憶の容量には限りがある。また、全ての人が善人であるわけでもない。彼はそれを自分のエゴだと言っているが、全ての人を悼もうと考えた時に不都合なことを削いでいった結果、行き着いたのが前述の「誰を愛し、誰に愛され、誰に感謝されたか」ということだった。

ひょっとすると、この三つこそが、亡くなった人を思い続けることのできる要素なのかもしれない。

幸いなことに、今のところ自分が少しでも大切に思ったことのある人は、祖母を除いて、みな生きている。(いや、すでに忘却してしまった人もいるかもしれないが・・・)


祖母は確かに僕ら孫をかわいがってくれていた。

祖母が当時同居していた叔父の娘さん(従姉妹)が結婚することが決まり、会社が終わってからバイクを飛ばし、お祝いの品を届けたことがある。
午後8時、いや、もう少し遅い時間だったかもしれない。

祖母はすでに寝ていたのに、僕が来たことを聞いて、「よう来たな、よう来たな」と、寝巻き姿のまま、とんで起きてきてくれた。

その時の様子は、ずっと昨日のことのように記憶に刻まれている。


作者がどのような意図で、この小説を書かれたのかは一度読んだくらいでは理解できていないかもしれない。しかし、小説などは、読み手の数だけ感想があっていいのだと思う。それが正解、不正解などとは誰にもいえない。

ということで、以上が、この小説を読んでいる途中、そして読み終えた後に自分が感じたことである。

☆☆☆☆★
残念ながら勧めてくれた方のように落涙には至らなかったので☆四つ(笑)
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エイ文庫 池田葉子著 「マイ・フォト・デイズ」 [書評]

昨日、千里中央に出る機会があったので、3月10日発売のエイ文庫・蜂谷秀人さんの「ずんちゃちゃカメラ節」を買おうと、田村書店に立ち寄ると、蜂谷さんの本の横に、表紙に綺麗な写真が数枚載っている本を見つけた。

同じくエイ出版社発行の池田葉子さんとおっしゃる高知在住のアマチュア写真家の方の「マイ・フォト・ディズ(カメラと暮らす楽しい日々)」という本だ。

中をちらちらと流し読みした段階で、掲載されている写真に妙に惹かれるものを感じて、即、購入を決め、レジへと向かった。

LOMO LC-Aというカメラで、日常の一こま、どこにでもあるようなシーンを撮影した写真はどれも素敵なもの。

たまたま、今週、僕は鞄にLOMOを入れていた。彼女のような写真が撮れればなぁ~~~、っと思うが、どうも何か、目の付け所なんかが違うようにも思う。

う~~~ん。

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「マイ・フォト・デイズ」池田葉子 エイ出版社

ISBN-10: 4777909913
ISBN-13: 978-4777909919
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